子どもの頃、よく言われた
「あなたも親になったら親の気持ちがわかるよ」
それは親だけじゃなく、親の友達、近所の大人、いろんな人から言われた気がする
子どもの私は、特に疑問も持たず、「そういうもんなのかな」って思っていた
親の気持ちって、きっと特別で神聖で、大人にならなきゃわからないものなんだろう
そんなふうに思っていた
でも、いざ自分が親になってみたとき──
「あれ?」と思った。
夜泣きの世話
熱を出したときの看病
初めての保育園の準備
学校行事の対応
毎日のごはん作りに習い事の送迎、
子どもの成長の喜び、不安、心配、全部を受け止める日々
そんな毎日の中で、ふと我に返ったとき、気づいた
ん??んん??あれ???
うちの親、これやってなかったよね?
あの時、あれもなかったな。
なんなら、私、もっとやってるよね?
当たり前のことを、ただ親としてやっているだけ
でも、その当たり前を親が私にしてくれた記憶がほとんどない
実は幼少期に「自分の親は他所とは何か違う」というのは薄々気づいていた
だから反抗期のころは「親なのになんで何もしてくれないんだ?」と言ってたような気がする
そのたびに
「お前はまだ子供だからわかってないだけ」
「あなたも親になったら親の気持ちがわかる」
と言われてきた。
こっちはまだ子供だし、大人から言われたらもうどうしようもない
なんなら親にすらなってないしね
なんとなく腑に落ちないのは仕方ないが「そんなもんかな~」とあきらめるしかない
でも実際親になった今、この立場から見ると
実は親は自分の親業を免罪するための言葉だったんじゃないかと思った
「自分の親業をわかってもらいたい」
「自分の子育ての至らなさを見逃してほしい」
その願望の裏返しだったのかもしれない
でも、私はもう親になった
そして気づいた
あの言葉は、私には必要なかった
だって私は、親の気持ちを分かろうなんてしなくても
親として「当たり前のこと」をただ必死にやっている
それだけで十分だった
むしろ、親になったことで見えてきたのは
私の親は、ただ「親という立場にいただけ」だったという事実だ。
そして親として子を思う前に
「親業をこんなに頑張ってる自分を子供も認めろ」
ということだったんだろう
確かに私の親は20代前半で親になり、立て続けに妹と弟と私の子育てに追われる日々になった
昭和の典型的な企業戦士だった父はもちろん子育てどころか家庭を顧みることはなかった
そんな中で20代の母がワンオペで子育てするのは大変だったろう
親も不器用なりに私を育てようとしていた部分はあるのだろう
ただ、その母のストレスや承認欲求は長女の私に向けられていたことも確かだ
そして長い期間「親になればあなたも分かる」という言葉に縛られていたのも事実だ
だから私は、子どもたちに同じことは言わない
いつか子供たちが親となりその時にどう感じるのかはあくまでも子供たちの問題なのだ
こちらから子供に「こう感じろ」と強要するものでもない
だからこそ、その時に子供たちがどう感じてくれるのかが楽しみでもある
その時の私の「親業」としての通知表が渡されるって感じかな(笑)
自分が親になって実感するのは
自分が子供のころに親や周りの大人から言われたことの「答え合わせ」なのだ
「親になればあなたも分かる」という言葉で
自分も親になれば分かるのかな~そんなものなんだろうか?と思っていた子ども時代
そして親となり「え?ちょっと待て。親になったけどあの時の親の気持ちわかんないんだけど??」という葛藤を経て、やっと
違う、あの言葉はあの時の親が「自分を守るために」使った言葉だったんだと
うん。大丈夫だよ私はちゃんとやれてるよ。
あの言葉に縛られなくてもちゃんと「親業」やれてるよ。
その確信が、私の心を一番軽くしてくれた
だから、親の気持ちを分かる必要なんて、本当はなかったんだ
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