嘘をついてまで守りたかったものはなんだったんだろう

私とわたし

昔、西原理恵子の本で
「人は一度嘘をつくとずっと嘘をつく」
というのがあった

いや、本当にその通り
私自身、若い頃はしょうもない嘘をついて、その嘘を守るためにさらに嘘を重ねる、という無限ループに陥ったことが何度もある

それは私だけはないだろう
誰もが一度は通る道だろう

些細なことでも承認欲求にまみれてた時期って、「ありのままの自分じゃダメだ」って思い込んでたから、つい盛っちゃったり、見栄張ったり

でも、内観を始めて思ったのはその手の嘘はほぼ自己満でしかなかった

まぁ年を重ねると、ついた嘘も忘れるし、辻褄も合わないし、何より嘘をつくのが面倒くさくなる
そういう意味でも、私はよく成長したもんだと思う

まぁ、年齢と共についた嘘は忘れるし
辻褄合わないわで嘘をつくのが面倒だというのもあるのだが(笑)

元夫の上塗りだらけの嘘
50歳も近くなっても中学生並みの嘘で自分を守ろうとする知人

彼らが守りたい物はなんなのだろうか?

所詮しょうもない自尊心なのは分かっているのだが、いい年した大人がそんな嘘つかなくても大丈夫ですよ。分かってますよ。

って肩をトントンってしてみたいが、彼らは必死に嘘で自分を守っているので生暖かく見守ろう
その嘘ごときでこちらはノーダメージだし

よほど暇なのか?それともやる事がないのか?ご苦労な事である

嘘をついてまで守りたいものなんて大したものじゃないんだが、こういう人達は嘘をつく事に後めたさもないだろうし、それよりも「嘘をつく自分が嫌だ」って思うまではほど遠いのであろう

おそらくあと数回転生しないと無理なようだ
そのくらい「嘘をつかずに生きること」は彼らには難しいことらしい

私も若い時は嘘で自分を守っていた人間ではあるが、いつしかそれすら面倒になり
「嘘をつかずに過ごして、それでも良いと思ってくれる人がいればそれで良い」
と感じたのと、単純に面倒なのと、嘘を忘れてしまうので嘘をつく必要がなくなった

できてないことは素直に
「ごめんね、忙しくてまだできてないんだ」
「今日は1人でゆっくりしたいから行かないよ」
と言えばよい

それで付き合いが終わる関係なら、そもそもそれだけのご縁だったのだ

そうするうちに嘘をつかなくて良い生活を送るようになった

生活費で使うべきお金を遊興費に使った
大して仕事してないのにデキる人ぶる
ただ単に見栄を張るためだけの嘘

本人はいたって必死なんだろうが周りから見ると本当にどうでも良いことがほとんどだ

そもそも嘘をつかなくて良い生活をしていれば自分を誤魔化さなくても良いわけで、息をするように嘘をつく人はしょうもないことでも嘘をついてでもその場を乗り切れればよいのだろう
そして「嘘でその場しのぎをする自分」でも良いらしい

日常的に嘘をつくということは
「常に自分にも嘘をついてる」ということで
それではご機嫌な毎日ってわけにはいかないし、いつもハラハラして過ごしてるのかしら?
ある意味スリリングな毎日だったりもするのを楽しんでいるんだろうか?
とかまで思ってしまう

そんな余計な気を回す暇があるなら、今がよりよく過ごせる努力をしたいし、私はもっともっと内観をして自分と会話したい

結局は嘘をつくということは自分も偽ってる
そんな自分になにも感じ輩とは付き合っても面白くない。ということだ

50歳近くなっても、そんな嘘をついて過ごしてる大人なんて、面白くないんだけどね
まぁまぁ生息しているのも事実(笑)

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