夫との関係が悪くなったとき、ずっと考えていた。
「私はなぜこんなに愛されないんだろうか?」
自分の何かが悪かったんじゃないか?と自責のループに入り込み、
実際、数少ない夫との話し合いの中で私は「こうさせてしまった私にも責任がある」と謝っていた。
今思えば、あのとき夫は私に謝っただろうか?
…そんな記憶はない。ただ「私が悪かった」と思っていた自分の気持ちだけが残っている。
つまり、夫は謝ってないし、今になっても自分が悪かったなんて思ってもいないのだろう。
いまになって思う。
なんてお人好しなんだ私は。
自責どころじゃない。
これはもう、「都合のいい女」だっただけだ。
都合の悪いことは全部私のせいにして、彼はずっと責任から逃げてきた。
それが彼にとっての“生きやすい”やり方だったんだろう。
それにしても、そんな彼が守りたいものって一体何なんだろう?と冷静に考えてみると、
たいした信念でもプライドでもなく、ただ日々の流れ作業に身を任せて生きているように見える。
たとえば──
典型的なマザコンだった彼は、自分の母親の一周忌を二日酔いで欠席した。
驚いた私に向かって、彼はこう言い放った。
「別に法事に行かなくても、たまに『母ちゃん元気か?』って下から声かけてるから大丈夫だろ」
唖然としたが、そういう価値観もあるのか?と一瞬だけ思った。
でも、そのあと義母を想うような行動を見たことは一度もない。
…結局、彼にとって「死んだら用なし」なんだろう。
しかも義母だけじゃない。
仕事道具も、車も、新築の家も、趣味の道具も。
どれも大事にしている様子はない。壊れたらそのまま、使えなくなるまで放置。
ギリギリまで引っ張ってダメなら修理。それも無理なら買い直し。それだけ。
しかも買いなおすための費用の準備すらない。
なので困れば「嫁ATM」にお願いするしかない。
そして、自分の体すらもそんな扱いをしている。
数年前の健康診断では肝臓もコレステロールも見事にHのオンパレード。
それでも何もせずに今に至る。
「自覚症状ないから大丈夫」──本人はそう言っている。
きっとこのまま使えなくなるギリギリまでやり過ごすつもりだ。
私は妻として、病院に行くように3回忠告した。
それでも行かないなら、それはもう自己責任。私の役目は果たしたと思っている。
そんな彼を見ていて思う。
この人は「先のことを考える」ってことが出来ないのだ。
というか、そもそも考えていない。だから私があれこれ思案しても意味がない。
「人を愛する」「物を愛でる」
そういう感情を持つのは、彼にとって今世では難易度が高すぎるらしい。
つまり、私は「愛されていない」のではない。
そもそもこの人には、誰かを愛する機能が備わっていないだけだ。
水の出ない蛇口を、いつまでもひねっていただけ。
だったら、水の出る蛇口を探せばいい。
それが自然なことだ。
私はもう、自分を責める必要なんてない。
やるべきことはただひとつ
この使い捨ての思想しか持てない人間と、早く解散することだ。
目の前のものを大切に扱えない人は、
生きるうえで何が大事なのか、何が「ある」のかも気づけない。
だからいつも「足りない」と感じるし、
本当に大事なものが何かにも気づかずに、手放していく。
夫を通して、私は多くのことを学ばせてもらった。
それだけはありがたいことだ。
解散した今となってはこの経験があったからこそ
私は今の「わたし」になれたのだ
それだけは元夫に感謝している
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