「引き寄せ」という言葉を知ったのは夫の関係がどん底の時だった
仕事も家庭もどうしようもない状況で他人から見たら「3回は〇んでもおかしくない」と言わるくらいギリギリの状態
とにもかくにもひどい状況で「明日が見えない」と思ったのは後にも先にもあの頃だけだと思う。
仕事はしていたのでそれなりの収入はあったし、生きる力が人よりもある自信はあったのだが、さすがにあの頃は「これはもうやばいかもな」思うこともあった。
唯一の救いが子育てで「子供がいたから救われた」というよりも「子育てがあるから死なずに済んだ」と言った方がよい。
子供が救いではない
「この子たちを食わしていかなきゃいけない」という理由だけだ。
自分がどこで野垂れ死ぬのは勝手だが、子供たちを巻き込むのは違う。
小さな命ではあるけれど、この子たちにはこの子たちの人生があるのだ。
だから、ひとまず子供たちを食わせることだけに専念した。
あの頃の生きる目的はそれだけだったと思う。
そうしながらも図書館で子供たちと本を貸出できる限界まで本を借りて本を読み漁った。
そうしないと時間が過ぎないからだ。
夜もほとんど眠れなっかったのでとにかく時間が余って仕方ない。
借りた本をひたすら読みまくった。
その中でたまたま借りた本に「引き寄せの法則」をいう本があった。
何気に読んで「なんじゃこりゃ!!」と何回も読み返したのを覚えている。
その後、amazonで同じ本を購入し、何度も読んだ。
引き寄せの基本のキとしては「まずは自分がご機嫌で過ごす」というのが斬新だったのを覚えている
それまで日々の生活をこなすことで精一杯で自分の機嫌なんて考えたこともなかった
その本には
「人をコントロールすることはできない。その人が変わるかどうかはその人の問題なので私がその事に気を揉んでも何の意味がない」
というような内容のことが書かれていて頭をトンカチで殴られたくらいの感覚だった。
それまでの私は夫や親の世話を「私がやらなければいけない」と思い込んでいた
もちろん世話をされる側も妻、娘が率先してお世話をしてくれるので「お前がやるのが当たり前」
というスタンスなのでこの関係がおかしいだなんて誰も思わなった
気が付いた時にはお世話を超えて彼らの人生まで背負い込んでいた
だけど必死で彼らの世話をしたところで彼らは私を大切に扱うわけではない
むしろ「都合の良い妻、娘」でしかない
でも私はいつまでも「相手のために私が頑張ればいつかわかってくれるし、変わってくれる」と思い込んでいた
もちろん彼らにそんな思いが届く日は来ないのだが…
なるほど!!相手に変わって欲しくてあの手この手でアプローチするよりも、まずは自分がこの状況を打破出来る心の環境整備をした方が早い
そこが内観のスタートだった
まずは自分の取り巻く環境で優先順位を決めて自分がやるべき事を決めたそして、それだけに集中して行動する
と、同時に他の引き寄せ系の本や動画を読み漁ったりセミナーに参加したりもした
そして分かったのは「自分が望んだ方向にしか進まない」
細かい言葉の使い方とか「この言葉を唱えると良い」とか色々と流派みたいなのはあるが、共通してるのは「人生は自分が見ている方向にしか進まない」
そういえば、自動車学校の先生も言ってた。
「車は見てる方向にしか進まない。ちゃんと前を見なさい」って。
なるほど、人生も一緒か。
進む方を見ていけば、おのずと自分に必要なものが出てくる
結局はこれが「引き寄せ」なんだろうと思う
引き寄せるために同じ言葉をずっと唱えるんじゃない
空の龍を探さなくてよい
自分の進みたい方向を決めて、そこに向かって行動すればよいだけなのだ
結局最後は「自分がどうなりたいのか?」だけなのだ
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